ジャパニーズウイスキーの歴史4
2024年7月6日

大阪では摂津酒造が1907(明治40)年にアルコール製造を開始、1911(明治44)年から自社製アルコールを使ったウイスキー造りを始めている。摂津酒造は薬種業者にもアルコールを販売、または委託を受けてウイスキーの製造などを行っており(寿屋の赤玉ポートワインやヘルメスウイスキーなども当初中身は摂津が造っていた)、1913(大正2)年には年間240石(約4万3200リットル)を造る最大手の会社に成長している。当時、「東の神谷、西の摂津」と並び称されたものである。
1902(明治35)年に日英同盟が締結されて以降、本場のスコッチの輸入が増加し、一般大衆の酒類に対する知識も向上した。本格的なウイスキーの製造を実現させたのは、明治40年代以降、甘味葡萄酒の「赤玉ポートワイン」(1907年発売)で成功をおさめた寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎(1879~1962)であった。
ウイスキーの製造を学ぶために摂津酒造からスコットランドに派遣(1918~20)された竹鶴政孝(1894~1979)を1923年に会社に迎え入れ、京都にほど近い大阪・山崎の地に蒸留所を建設した(現山崎蒸溜所)。1924年に竣工した山崎蒸溜所で造られたウイスキーは、1929年に「サントリーウ井スキー」、通称白札として発売された。これが我が国初の本格ウイスキーであり、1923年は日本の「ウイスキー元年」とも言われている。
戦前のウイスキー造りでは寿屋のほかに東京醸造、大日本果汁が有名である。
1924年に神奈川県藤沢市に創業した東京醸造(1955年撤退)はリキュール製造で知られたが、
1937年に国産第2号といわれる「Tomy’s Malt Whisky」(トミーモルトウ井スキー)を製造し、
明治屋を通じて販売を行っている。
寿屋を退職した竹鶴政孝が1934(昭和9)年に興した大日本果汁(現ニッカウヰスキー)は、
スコッチウイスキーの造りにならい、同様の風土を求めて北海道余市に工場を建設して、
2年後よりウイスキーの生産を開始。1940(昭和15)年には第1号となる「ニッカウ井スキー」を発売している。また宝酒造の「キングウイスキー」も高い評価を得て、
1943(昭和18)年には当時雑酒に分類されていたウイスキー初の等級付けで、
サントリー、ニッカとともに本格ウイスキーの1級指定銘柄に認定されている。
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