ジャパニーズウイスキーの歴史5
2024年7月8日

独自の進化と深化を遂げた日本のウイスキー
第二次大戦の頃は海外からの洋酒輸入の停止や、酒類の公定価格設定、
配給制度といった状況にあったが、アルコール飲料は終戦直後から多くの人に求められ、
様々な酒類が世の中に氾濫した。闇取引や粗悪な酒類の横行によるアルコール中毒者が急増したのもこの時期で、
「カストリ」、「バクダン」などと呼ばれた焼酎や、
アルコールに香料や色付けをしただけの製品もウイスキーとして流通していた。
また戦後は東洋醸造、大黒葡萄酒(のちのメルシャン)、
本坊酒造など多くの企業がウイスキー事業に参入し、
アルコール製造大手の協和醗酵などもウイスキーを扱うようになった。
消費量は回復していくが、洋酒に対する公定価格が廃止されたのは1949(昭和24)年で、
実際にウイスキーの自由販売が認められたのは翌1950年のことである。
以後ウイスキー原酒の混和比率の低い3級ウイスキーを中心に自由競争時代へと突入していった。
中小の生産者の撤退期を経て、寿屋(サントリー)、
大黒葡萄酒(オーシヤン)、大日本果汁(ニッカ)が大きなシェアを占めるに至り、
昭和30年代以降の高度経済成長時代には、
3社の名を冠したバーが全国に急増、ウイスキーは大ブームとなった。
激しいシェア争いが続き、この頃「ウイスキー戦争」なる言葉も生まれている。
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