ジャパニーズウイスキーの歴史6
2024年7月9日
寿屋の『トリスを飲んでハワイに行こう』キャンペーン(1961年)など、マスメディアを利用して消費の拡大が図られたのは日本の特徴といえるが、日本料理屋で和食にウイスキーを合わせる「二本箸作戦」、ウイスキーのボトルキープ、水割り文化の浸透など、日本独自の愉しみかたが次々と提案されていったのも、日本のウイスキーの大きな特徴である。オンザロックの流行には、冷蔵庫の普及により、家庭で手軽に氷が作られるようになった社会事情も影響している。
1971(昭和46)年にはウイスキーの貿易が自由化され、数量、取引金額に制限なく輸入ができる時代となった。
1972(昭和47)年には、国際的な総合酒類メーカーのシーグラム社の
資本参加で生まれたキリン・シーグラム社(現在のキリンディスティラリー)が事業に加わっている。
高い関税率にもかかわらず高級志向でウイスキーの輸入量は増加し、
翌1973年には特級ウイスキーの消費量が2級に追いつき、それ以降は逆転した。
寿屋から改称したサントリーは「オールド」で
販売量世界一(1980年に年間約1,240万ケース出荷)を達成し、
日本の代表的メーカーという立場を確立していった。
1976年のアメリカ建国200年祭の頃にはバーボンの輸入量が増加、
1980年代には日本酒の地酒ブームと同じく、「地ウイスキー」が注目されることになった。
その後ウイスキー類の消費量は1983(昭和58)年をピークに減少に転じ、
乙類(本格)焼酎にも追い抜かれ、ビール、焼酎、日本酒に水をあけられてしまった。
課税数量でみても1983年度を頂点に、2008年度はピーク時の2割程度にまで消費量が落ち込んでいる。
しかし2008年頃からハイボールブームなどで再びウイスキー需要が高まり、奇跡的なV字回復を果たしている。
2014年9月からはNHKの連続テレビ小説『マッサン』の影響もあり、
日本におけるウイスキー市場は空前の活況を呈している。
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